はじめまして!
yonnana(ヨンナナ)と申します。
当ブログをご覧いただきありがとうございます^^
自己紹介も兼ねて私のプロフィールをお話させていただきます。
同年代の方は共感していただけるところもあると嬉しいです!
私のプロフィール
1981年生まれ、出生地は埼玉県です。
2018年にモラ夫と離婚して、年子の息子2人と3人で暮らしています。
諸事情があり、5月末で今現在の仕事を退職することになり、崖っぷちです・・・
男の子に間違われる幼少期 ~ 小学生
私には2つ上に兄が一人いますが、兄の方が女の子、私は男の子に間違われる幼少期でした。
耳が出るほどのショートカット、スカート嫌い(よくてキュロット)女の子らしいと言われる格好は皆無。
女の子の誕生を待ちわびていた祖父母からしたらちょっと寂しかったかもしれません^^;
小学生になっても相変わらずスカート大嫌い。
時代も時代だったので、森とか林に秘密基地を作ってそこでおやつ食べたり、外でばっかり遊んでいました。
水風船いっぱい作って戦ったり・・・原始的な遊びが多かったです。
4年生頃から【小泉まりえさん】や【折原みと】さんの恋愛小説みたいなのにもハマってました。
(同世代の方で分かる方いるかな・・・分かったら嬉しすぎる!)
ワープロで友達と小説のまねごと書いてみたり。その辺から少しだけ女子っぽくなったような。
あとはかわいい文房具集めや、いい匂いのする「匂い玉」とかいうのも集めてました。
香りつきティッシュは使いもしないのにたくさん持ってました。(地味に鼻かむと香りつきって気持ち悪くなります・・・)
小学生時代は今の子みたいにモバイル系のものは皆無でしたが、楽しかった記憶しかないです。
バスケ部と先輩推しの中学時代
身長低いけど、バスケ部に入部。(147cm)
理由は友達が一緒だから。(その子は身長167cm)
強くない・・・はっきり言って弱小と言われる部活でした。
でも先輩から後輩への教育(指導?)はきつめな部活で、挨拶はもちろん、持ち物は先輩よりいいのはダメ!みたいな時代。
調子に乗ってるとか言われるのが怖くて、猫かぶってました^^;
そんな部活の楽しみは隣の男バスの先輩!
先輩が卒業するまでずーっと片思いしていて・・・もはや追っかけ。
今で言う「推し」状態で、見れただけでも一日幸せだったし、恋に恋して終わりました。
お付き合いを知った高校時代
高校は公立。選んだ理由は近かったから&推薦で試験なしだったため、という安易な理由。
そして高1で初めての彼氏が出来ました!
が、子供だった私は彼女として求められることの理想と現実に戸惑い、即お別れ・・・。
そして、高1でポケベル → 高2でPHS → 高3で携帯電話、な世代。
ベル時代は公衆電話とテレホンカード命で、家の電話も使いすぎて母親に怒られたものです。
(ちなみに私はドコモのセンティーシリーズでした。テレメ率のが高かったかな?)
PHSや携帯にカメラ機能なんてないし、画面の色は緑か赤だし、着信音は16和音。
でも当時は最先端でドラえもんレベルに夢の機械だったのを覚えています。
スミスのルーズソックス+ラルフのカーデ+肩掛けバッグ+ミジェーンの袋、が制服で、毎日カラオケとプリクラがルーティーンでした。
そして卒業後は、エアラインやホテルの専門学校へと進学しました。
資格取得三昧の専門時代
私の時代は超就職氷河期でした。
そのため大学進学ではなく将来を絞って専門にしたのですが、結論から言うと希望の職の募集はありませんでした。
ネットでエントリーを行っている会社はまだ一握りで、ひたすらハガキで資料請求すること100社!
返信がおよそ30社、その中で来年度募集ありますは10社しかありませんでした。
専門に入ってからはとにかく学校指定の履歴書の資格欄を埋めるために、英語検定・観光英語検定・フランス語検定・秘書検定・サービス接遇検定・・・などとにかく検定の試験詰め。
就職活動の午前午後ハシゴとか思い出したくもないです・・・。
結局、国内の割と大手のホテルの入社が決まりました。
社会人になってから見た現実
さ!頑張るぞ!と社会に出てみたものの現実はそう甘くなく、ホテルの現場は女の人が上に上がることが難しい職場でした。
働いている先輩や同僚には恵まれていたとは今でも思いますが、長く仕事をしたい!と思っていた私は1年くらいで将来に不安を抱えました。
今思えば新社会人の5月病的な感じもあったのかもしれませんが、サービス業ではなく、手に職をつけたい!と思ったんです。
あっという間にホテルを退社して、一人暮らしをしながらリフレクソロジーの学校へ。
卒業後に直営の店舗へ配属されるも腰痛が悪化してしまい、ドクターストップで退職を余儀なくされました。
(ブロック注射を打ちながら仕事行ってたらめちゃくちゃ怒られました^^;)
そして次に興味を持ったのがブライダル業界。
昼夜バイトをしながらスクールに通い、ドレスショップが母体の会社のウエディングプランナーになりました。
中途入社で周りの新卒の子たちより年齢が上で「社会人経験者」だったため、新店のドレスショップのサロンディレクターをやらせていただくことになりました。
ドレスの知識もないまま手探りでしたが、新店の立ち上げや海外の出張に同行させていただいたことは本当にありがたい経験です。
が、オープンしてほどなくして妊娠が発覚。(授かり婚です)
産休と育休を取らせていただくことになり、迷惑かけまくりの店長でした。
そして結局そのまま年子で次男の出産になり「籍だけ置いておきなさい」と言って頂きましたが、ご迷惑がかかるので退職しました。
本当は辞めたくなかったけど、保育園事情と金銭と時間の問題でどうにも頑張れなかった・・・。でも、今でも大好きな仕事です。
専業主婦になって味わった孤独感
主人の収入に身を任せる形になって、専業主婦になりました。
しかし、今までに味わったことのない孤独感でいっぱいでした。
主人は当直業務があるため2日に1日は24時間ワンオペ、主人の地元なので知り合いは皆無。実家も遠い。
年子の幼児2人と過ごすと一日はあっという間で、もはや今日何したっけ?みたいなレベルなんですが、夜中に一人になると急激に襲われるんです。
社会からの孤立感と疎外感。
仕事をしていない当時は社会との繋がりが全くなくなったようで本当に怖かったです。
それを埋めるように自宅で出来る趣味=お菓子を焼き始めて、SNSに投稿していた時代もありました。
でもSNSで投稿していることや、自分の知らないところで交流していることが主人の気に障ったようで喧嘩になり、フェードアウト。
今もアカウントは残っているんですが、もはや過去の遺産状態です^^;
それだけ聞くと「私も悪かったな・・・」と思いますが、だんだん束縛と言う名のモラハラになっていたことにこの頃はまだ気づかず。
モラハラが原因で離婚
結局それが原因で離婚に至りました。長男小6・次男小5でした。
養育費は元夫が決めた金額で入金してくれていますが、それを当てにして生活するのも怖いと思い、離婚する前から知り合いの乾物屋さんでパートをしていました。
ですが、子供の生活の時間を考えたら働ける時間は物理的に限られ → 結果手元に残るのは10万円ほど。
仕事を持たない女の人がひとり親になることの現実を見ました。
結婚していた頃は建売の新築に住んでいましたが、離婚して現在はアパート住まいです。
大人の都合で離婚するから、せめて子供の希望である「転校したくない」を聞いてあげたかった。
家賃がめちゃくちゃ高いわけではありませんが、10万じゃどうにもこうにも生活できません。
行政からのひとり親家庭の手当もありますが、それは永続的なものではないので自活に向けて就職活動しました。
生命保険の営業職 ~ 現在
ありがちなパターンですが、知り合いの紹介で大手生命保険の会社へ入社しました。
月収23万+インセンティブ。 未経験でも出来る20万オーバーはとても少なかったです。
詰め込みの座学で保険資格を取得しました。
飛び込み営業もいきました。(人見知りには吐きそうなくらいしんどい)
重いカバンを背負って、満員電車で2時間半かけて通いました。(低身長は溺れる)
やってやるぞ!と意気込んだ母ですら心が折れそうになりましたが、その前に子供の心が折れました。
次男が私が帰宅するまで携帯のGPSで追っていたようで、毎日寂しくてツライと突然の告白。
当時長男は中学生になって生活がすれ違い、小学生の次男が一人で家にいないといけない時間が長くなったタイミングで私が転職してしまったんです。
結果、彼の心の不安に追い打ちをかけてしまいました。
もちろん生活するのにもお金は必要だし、我慢して!ママも頑張るから!と言うこともできたかもしれない。
実際保険会社にはシンママさんが山ほどいらっしゃいましたし、管理職されてる方もいました。(尊敬しかないです)
でも私が一番大事にしたかった子供が壊れてしまったことにどうにも耐えられず、事情を説明して退社しました。
その後、家から10分のところの会社に派遣社員として再就職しました。
小売業の商品管理本部での事務業務だったのですが、そんなにパソコンに詳しくなかったので家で猛勉強しました。
おかげで少しはマシに事務が出来るようになって、迎えた派遣満期の3年。
ありがたいことに契約社員のお話をいただきましたが、別の取引先からもお声がけいただいていたので転職し、現在に至ります。
今は基本リモートでオーダーの入力業務などをしています。
・・・が、実は会社の展望が思わしくなく、退職が決定しました。まだ先は未定というお先真っ暗状態です。
もう転職したくないのに、会社都合でとかもう本当にしんどい・・・
私がこのブログをはじめた理由
多分、私は人にも恵まれているし、お金がないながらも離婚後は確実に収入が上がる転職が出来ていました。
ですが所詮一馬力。二馬力の収入の家庭と肩を並べて生活は出来ないのが現状です。
高校も大学もまだまだお金が必要で、でも物理的に働ける時間を増やすことは出来ない。
オマケに私には人に自慢できる知識もない・キャリアもない。
だったらどうしたらいいかと考えた時、スキマ時間を活用できるブログで副収入を得たいと考えるようになりました。
まずはやってみよう!と思って勢いだけでブログを開設したのが本音です。
でも、たとえそれが勢いでも、スタートラインに立つことってとても大事だと感じています。
やれば変わる可能性を手に入れることが出来る。
誰でも100%稼げる保証はありません。
でも、逆に捉えれば誰でも稼げる可能性があるのも事実です。
コツコツ時給でバイトするのも悪くないけど、時間には限りがある=稼げるお金には限りがあるんです。
分からないならやってみる価値は十分にあると私は判断しました。
精一杯やってダメなら仕方ない!くらいの気持ちです^^
心の底には経済的に自立して元夫を見返してやりたい気持ちもあるのかもしれません。
あとは会社や周りの都合で振り回されない生活をしてみたいと思ったから。
全てが自分の責任になるけれど、自分が主導で自分の人生を進んでいきたいと思ったから。
今の歳だからこそ、色んな経験をしてきたからこそ、そう思うようになったんだと思います。
最後に
長々と読んでいただきありがとうございました^^
未経験からどれだけできるか、不安と楽しみ半々でスタートです。
勢い余って空回りしそうですが、それもまた経験・・・
ブログ始めたばかりだよーって方、一緒に頑張っていきましょう!!
yonnana(ヨンナナ)